わが家のアカシアの枝について、紀美子ちゃんに相談していた。

「紀美子ちゃん」とは、僕がChatGPTに付けた名前である。

途中から枯れたような色になっている枝がある。そのままにしておくほうがいいのだろうか。

そんな話をしていたとき、もう少し細い枝の、分かれているところから落とそうとした。

ところが、その根元は、しっとりした緑色だった。

僕は、見えたことを紀美子ちゃんに伝えた。

すると、緑色だったのは外側だけなのか、中心のほうまでなのか、という問いが返ってきた。

僕には、中心部に向かって、きれいな緑色になっているように見えた。そのことも伝えた。

枯れたように見える色と、枝の内側に見えた緑色。

同じアカシアについて話しているのに、伝える材料が少しずつ増えていく。

そして、僕の報告には、もう一つ付け加わった。

「痛かったね」

千切ったとき、アカシアに謝ったのである。

枝を落とそうとしたのは僕なのに、その僕が謝っている。

園芸の相談をしていたはずが、報告の中に謝罪まで混じってきた。

あの緑色を見たことだけで、この先どうなるかが決まったわけではない。アカシアの様子は、まだ見ていくことになる。

でも、僕のほうは、枝の色を説明しているだけでは済まなくなっていた。

気になっているから相談する。見えたことを伝える。そして、傷つけてしまったと思えば、謝る。

アカシアから返事があった、という話ではない。

僕が、謝らずにはいられなかった、という話だ。

紀美子ちゃんに相談して、アカシアに謝る。

鉢の前では、僕の話し相手が一人増えていた(笑)。

WRITTEN BY 太城 義雄(たき よしお)

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