僕はいい……でも、子どもたちのために。


──ムヒカと今の日本と、“たき火”の始まり。


「僕はもういいんです。でも──」 「このままじゃ、子どもたちの未来が潰れてしまう。」

ムヒカ元ウルグアイ大統領の訃報を聞いた日、 私の中で静かに何かがはじけた。

私たち大人が怒りもせず、笑ってごまかして、 “何となく”を続ける限り、未来は暗い。

でも、小さくても火種があれば── きっとまた、フェニックスは甦る。


ムヒカという男──怒りを超えて「愛の政治」へ

1960年代、政府の腐敗や経済格差に抗議してゲリラ運動に身を投じ、 14年間、獄中で過酷な日々を送りながらも、 彼は暴力ではなく、清貧と共感の政治へと生まれ変わった。

月収の9割を寄付し、農場に暮らし、 ビートルを自分で運転し続けた。

「貧しいのではない。モノが少ないだけだ。 本当の貧しさとは、限りなく欲しがることだ。」

──世界が驚いた“質素な革命家”。 でも彼は「これが普通」と言った。


一方、日本では──“清貧ごっこ”のリーダーたち

「議員も1円でも安いスーパーで買い物を」などと語りながら、 その口で新人議員に10万円の商品券を配る議員がいる。

大臣ポストは論功行賞、 官僚の言いなり、 増税ばかりで実質賃金は30年下がりっぱなし。

国民には「我慢を」「自己責任を」と言いながら、 自分たちはぬくぬくと特権の中。

「清貧を語る者に、清貧の姿勢なし」

これが今の、政治の姿。


国民の怒りは、沈黙と冷笑に変わった

SNSには不満が渦巻く。 でも行動する人は少数派。

選挙に行かない、変わらない、諦め── それが一番、支配者にとって都合がいい。

怒りはいつの間にか、 “何も感じない”という形にすり替わった。


たき火の火種──“僕はいい。でも子どもたちのために”

若者は結婚できない、 子どもは産めない、 年金も医療も不安だらけ。

このままでは、フェニックスどころか灰のまま。

だから、私は書く。 描く。 語りかける。

笑ってくれてもいい。 苦笑いでも、皮肉でも、共感でも、いい。

その「何かひっかかる」気持ちこそ、火種。

私は、今日も火を焚く。

僕はもういい。けど、子どもたちには豊かで優しい日本を残したい。

そしてそれは、あなたの願いでもあるはずだ。


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